柴内晶子の「記憶の色」|記憶の中の色について
まだ伴侶動物という考え方が日本で一般的に使われるようになる以前より、人生を彩り豊かにしてくれる存在として動物たちと接してきた筆者。赤坂動物病院の院長として、1人の人間として、幼少から今に至る優しい色彩のエッセイです。
流れる日々と「まろく」生きる
日ごろ特にお食事の場でご一緒することが多く、また超絶技巧による淹れ立ての異次元コーヒーを供してくださる、Tさんからのお誘いを頂戴しまして、ここに書かせていただく事になりました。
私はこちらに書かせていただくには畑違いも甚だしい獣医師という仕事を通して、長年にわたり伴侶動物医療に携わっております。両親も獣医師で動物達とはあたりまえのように共に育って参りました。人として地球の自然界の一部に属する一人として何かお伝えできる事があるかもしれないというぼんやりした「気持ち」はありますが、その向こうはほぼピントの合わない夢の中の色彩だけの風景のようです。
そこには雰囲気だけが存在し、冬の夕暮れの薄暮のような、決して後ろ向きではないなつかしい世界をすこし明らかにして皆様のお机にお届けできたら良いという気持ちでお話しを始めさせていただけましたらと存じます。
人は生きることで、仕事をすることで、何かに興味関心をもち実際におこなってみることで、感受性という花が開くのだと思っています。日常生活の中でも本当は一瞬一瞬に心動いているわけですが、日常となるとそのような事を感じ続けるわけにもいかず、つい流れる日々に感じたことにも瞳を伏して、過ごしてしまっているものです。
人の心を、過ぎる時間につま弾かれて様々な音を奏で続ける楽器とみてはいかがでしょうか。色とりどりの音色がそこにはきっとあるはずです。自身の心を置いてきぼりにしないで生きていく事が出来ていれば、日々の些末な不満や不幸につまずかず、自身と身近な人々を大切に「まろく」生を全うできるのかもしれません。